top of page

なぜ、優秀な人ほど人生の決断ができなくなるのか

  • 執筆者の写真: 竹内
    竹内
  • 7 日前
  • 読了時間: 5分

仕事では決断できるのに、人生のことになると、なぜか決められない。

転職、結婚、独立、進学、研究の継続、撤退…etc.

どれも「情報は集めた」「頭では理解している」

それでも最後の一手が打てず、時間だけが過ぎていく…

この状態に陥る人は、決して能力が低いわけではありません。


ご自身、あるいは周りの方々を見たときに、皆様のご認識にも当てはまるのではないでしょうか、むしろ逆の場合が多いと私も感じます。


学歴があり、実績があり、人生で努力が報われた経験がある人ほど、人生の重要な局面で立ち止まります。


一般的には、こう説明されがちです。

「決断力が足りない」

「覚悟が決まっていない」

「リスクを取る勇気がない」


…本当でしょうか?

少なくとも、上記の言葉は物事をシンプルに捉えているようでいて、説明とするにはあまりにも本質的ではないような…それでも尊重すべきではあるひとつの主義主張に則った発言ではないかと考えられます。


私はこれまで、

外資系コンサルティングファーム、大学、研究・教育の現場、

そして評価や選抜が行われる複数の領域で、

「決める」「評価する」「迷う」側面をこの目で見、そしてありがたいことに体感もさせていただきました。

それらの経験上で私の視点から導き出されたのは、優秀な人が決められなくなる原因とは、意志の弱さではなく、構造の問題ではないかという認識でした。


そこで、改めて意思決定における膠着状態を説明するについては、

意思決定者が置かれている状況を意思決定者自身の認識を含め構造的に俯瞰する視点を持って、

以下のように推論します。


意思決定における問題を個人が抱える場合、具体的には以下の状態が散見されます。

一つ目は、意思決定者をとりまく環境において選択肢が複数あるために起こる「贅沢な悩み」の状態があります。

能力がある人ほど、可能性が多く、どれも「完全に間違い」とは言い難い。

意思決定者自身の人生の価値基準が曖昧なほど、比較の選択肢の中身は濃度を増し、無原則に拡張します。


二つ目は、より深く突っ込んだ話になりますが、意思決定者の認識上でおこる価値観の多重化構造とでもいいましょうか、意思決定者の価値基準が外部に高く依存する傾向にある場合に、意思決定者の思考が、幾重にも折り重なる価値観の波にのまれた状態に陥ることがあります。

この場合、ひとつあるいは複数の価値の視座は内部化している状態が多く、もうひとりの自己として意思決定者が認識している場合のほか、無意識化に入り溶け込んでいるような状態もあります。

特に、これまで英断をしてきた人は、次の選択もこれまでの成功法に則り、無意識に他者の視座に頼る傾向が見受けられます。(この場合の他者とは、過去の英断を行った際の自己も含まれます)

しかし人生の重要局面では、そのような他者の視座に引っ張られると感じる自己(定まったものではなくライフステージの変化などの契機によっても変容する、日々芽生える自己、ここでは本来的な自己と呼ぶことにします)を軸とした世界の見え方もまた無視できなくなる。

すなわち、(過去の自己も含めた)他者と本来的な自己のシンプルな二項対立構造として整理した場合でも、時間軸という要素も加味しているとすれば、ライフプラン上の将来の自己を考慮する必要性も感じてくる。将来起こりうることの確率も考慮にいれてもなお、将来的な自己の価値基準を満たすかどうか、現在の判断に確信を持つことは難しいと言わざるを得ません。

結果、無数の他者と本来的な自己のそれぞれの価値基準の間で悪戯に思考を逡巡させる。それは、あたかも様々な世界線を垣間見る妄想のようで愉しい反面、現実の生活を送る生身の人間としては、決断を先送り、これを永劫続けることは難しいこともあるでしょう。


最後は、失敗コストを過大に見積もる意思決定者における心理が、意思決定に強く作用した結果の膠着状態があります。

二つ目の状態にも重なりますが、優秀な人ほど、これまでの決断を英断と認識し成功法をとろうとする一方で、現在の意思決定者を取り巻く環境を冷静に判断材料として加えることで従来のやり方に違和感を覚えることも多い。

このような状況においては、これまで積み上げてきた実績があるからこそ、一度の選択がそれを壊してしまうことを過剰に恐れるという、マイナスを極端に恐れる人間心理が同時に働くことも多く、本来的な意思決定の足を引っ張ることがあります。



少なくとも以上の3つは、意思決定におけるどん詰まりを引き起こす要因とその状態の代表例ではないでしょうか。

これらを放置すること、すなわち意思決定者が思い悩むことに終始し、不安感や違和感を放置したままに悪戯に罪悪感を背負う状態を課題に取り組む契機と考えています。

(以上をもって説明のすべてとするにはあまりにも「些文」とでもいいましょうか、各論にも及ばない文章であることをお許しください。しかしながら、この場においてはこの議論については仕舞いとさせていただきます。)


こういった状況において本来的な意思決定者に対して私が提示差し上げられるのは、

新しい情報でも、背中を押す言葉でもございません。


何を決めるべきで、今は何を決めなくていいのかを整理すること、

そして、自分がどの価値基準で人生を選ぼうとしているのかを

意識の表に出すためのサポートセッションを実施することです。


私は、答えを出しません。

決断もいたしません。

ただ、意思決定における膠着状態・思考の混線を整理すること、ご本人が「自分で決められる状態」に戻るための整理だけを行っています。


コメント


bottom of page